雪庇崩落死亡事故で
いっさいの責任を認めない文部科学省
責任追及の訴訟に支援広がる
東京で学習会

9月4日、東京で「大日岳遭難事故を考える学習会」が全国連盟の主催で行われた。この事故は、2000年3月1日から7日までの予定で行われていた文部科学省登山研修所の「平成11年度大学山岳部リーダー冬山研修会」で起きた。32人の研修生、講師、医師、登山研修所職員らあわせて44人が同3日から実技研修で大日岳に入山していたが、同5日午前11時半頃、大日岳山頂付近に達した研修生18人を含む27人が集まって休憩していたところ、足元の雪庇が崩落して研修生9人、講師2人が転落した。転落した11人のうち9人は自力で這い上がったが、内藤三恭司=さくじ=さん(都立大学2年)と溝上国秀さん(神戸大学2年)の2人が、雪庇崩落によって発生した雪崩に巻き込まれて行方不明になった。遺体の発見は内藤さんが5月、溝上さんは7月だった。

文部科学省は翌年2月に「事故調査報告書」を発表。山稜の想定を誤って雪庇の上で休憩することになったが、事故当時のような雪庇の形成と崩落を予見することは不可能であって、研修所や講師陣の判断と行動に逸脱はなかったと結論づけた。そして、同年11月になって、文部科学省は「国には一切の責任はない」とそれぞれの両親に伝えてきた。「予見不可能」としか言わない国――内藤さんと溝上さんの両親は、事故から2年目の昨年3月5日、富山地方裁判所に国家賠償を求めて提訴した。

なお、この研修会の主任講師ら2人が、富山県警察から業務上過失致死罪で書類送検されているが、検察庁の処分はまだ決まっていない。遺族を支援している「大日岳遭難事故の真実を究明する会」では、講師の刑事責任は追及していないが、事故から2年8カ月も経ってからの送検に戸惑っている。また、送検に対しては「講師救出作戦」という署名活動が、事故調査委員会のメンバーも含めた人々によって進められているという。

学習会では、事故とその問題点、両親が提訴するに至った経緯などをまとめたビデオが上映され、2人の両親、内藤悟さん、万佐代さん、溝上洋子さんが支援を訴えた。さらに、登山ガイドで訴訟を支援している重野太肚二さんが、事故が不可抗力によるものではないことを、雪庇は避けられたという観点で説明した。

全国連盟理事会は、この訴訟を支援することを決めており、「究明する会」が取り組んでいる署名に協力することを会員によびかけている。署名は、裁判所に公正な裁判を求めるものと、文部科学省の謝罪を求めるものの2種類だ。署名はすでに7万人を超し、団体署名も300団体分が集まっている。署名用紙は都道府県連盟を通じて配付してる。大日岳遭難事故や訴訟については、次のサイトを参照(「大日岳遭難」で検索可)。デジタル署名や署名用紙の入手もできる。
http://www.eonet.ne.jp/%7Ekuni/index.html
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/3924/


果たして雪庇は避けようがなかったのか
重野太肚二(アルパインガイド)

この事故は、雪庇に乗ってはいけないという雪山の常識が守られなかったために発生しました。雪庇がどんなに大きく形成されていようとも、雪庇がどのように形成されるのかが十分に分かっていなくても、また、その強度や崩壊に至る仕組みが解明されていなくても、雪庇の上に乗ってさえいなければ、この事故は起きなかったのです。

ところが、事故後1年ほどを経てまとめられた文登研の「北アルプス大日岳遭難事故調査委員会」の報告書では、いかに雪庇を避けようとしたかについて、ほとんど検討されていません。どうしたことでしょうか? 雪庇に乗ってさえいなければ、その雪庇がどんなに特異なものであろうと、この事故は起きなかったのです。雪庇に乗らないための基本は、雪庇の付け根の位置、すなわち地山の稜線の位置を知ることです。それにはいくつかの方法がありますが、今回の登山においても、それらを駆使して雪庇を避けることは不可能ではありませんでした。

<登高ルートの想定に真剣に取り組んだか>
調査委員会の報告書(以下、単に報告書)では、2400m付近で雪面上に最後に確認できるシラビソを基点に登高ルートを想定して「山頂」に達したが、あまりに巨大な雪庇のためにルートの想定に誤りがあったとしています。しかし、過去14回も登頂しているのですから、そのシラビソと山頂とのコンパス方位を把握していれば、それに沿って正しい山頂に到達できたはずです。シラビソと山頂の距離は直線で270mくらいであり、その距離を直進して、山頂付近で27mものズレが出ることは考えられません。

さらに、ルートを想定する基点にしたと報告書では言っていたこのシラビソの位置も、裁判では、実は百数十mも違っていたと述べています。要するに、このシラビソは何となくその辺に存在していたという程度の認識だったのです。例年、雪庇を避けなければという意識はあったものの、こうした地物を利用して登高ルートを正しく把握しておくことに、真剣には取り組んでいなかったと言わざるをえません。

<近づいてしまえばRootとRoofの境目は分からない>
報告書では、休憩地(崩落地)が風上側斜面から継続する斜面であったことをあげて、雪面の変化を観察しても雪庇付け根(Root)の位置が分からなかったと述べていますが、それは当然です。雪庇斜面(Roof)に出てしまってからでは境目を確認することはできないからです。RootとRoofの角度の違いにしても、早い時期から登高ルート上を観察していなければ把握できるものではありません。しかし、2370mピークからなら確認できたはずです。雪質の違いにしても山頂と思ったところで、相当の距離を付け根の方に戻って観察すれば確認できたかもしれません。報告書では、雪庇斜面に入ってしまったので確認できなかったと言っているにすぎず、この山行で、登高途上でこうした確認作業をしたとは報告されていません。

<大きすぎて分からないは逆>
無雪期の稜線の形が分かっていれば、積雪期に雪庇のできた地形と比べて雪庇の付け根位置を判断することができます。それは、報告書が例年の雪庇の大きさだとする10数mであっても(私は、それ自体承服できません。例年もっと大きな雪庇が形成されています)、事故時のように40数mの雪庇であっても同じです。報告書には、雪庇が大きすぎて判断ができなかったとありますが、これは逆ではないでしょうか。大きければ大きいほど、例年とは違う大きさの雪庇が形成されていると判断できるはずです。大きかったから雪庇とは分からなかったという主張は、とうてい認めることはできません。

また、報告書によれば、雪庇の先端が確認できない山頂付近では、最先端は確認できないものの、例年の雪庇が10数mだという認識のもと、見える範囲の先端から10数m程の距離を置いて休憩場所を選定したことになっています。しかし、この雪庇回避方法は誤っています。どのくらい成長しているか分からない雪庇の安全位置を、見える範囲の先端からの距離で考えても意味はありません。

<雪上に目標物はあった>
事故当時、大日小屋、大岩、ケルンなど、そのまま稜線位置を確認できる基準点が確認できていました。無風快晴のもと、山頂と思しきところに達したとき、雪庇付け根方向に向かって、これらの地物を発見する行動をしていれば、容易に発見することができたはずです。そうすれば、稜線位置も確認でき、雪庇の先端に向かって30mも踏み込むことはなかったでしょう。しかし、事故直前に撮影された写真を見ると、私には、剱岳を見るために、雪庇を承知で先端の方向に進んで休憩地を選んだとしか考えられません安全に対する配慮が欠けています。

<コンパスラインで稜線上を進むことができる>
進行方向の目標が目視できないようなところでも、雪庇を避けて山稜上のルートを登高できるように、地図上でコンパスラインを確認しておくことも、やればできました。位置が明瞭な2370mピークに赤旗を立て、振り返ってコンパスを操作することで、このライン上にいることを確認しながら進行すれば、ラインから外れずに登ることができます。これがバックベアリングという技法ですが、裁判で国側は、無風快晴の条件下でバックベアリングを用いる必要性はないと切り捨てています。しかし、実際は無風快晴の状況で27mも雪庇の付け根から飛び出してしまったのです。国側の証人は、最後のシラビソは確認できたが山頂は目視できない。だから、あとは・勘・だと言っています。これだから事故は起きてしまうのです。

<最後のツメはゾンデ棒で>
また、ゾンデ棒(プルーブ)を使って雪庇付け根位置を、その前後の積雪の抵抗後害によって把握することもできます。

<不可抗力による事故ではなかった>
以上のような方法を複合的に利用すれば、付け根を確認して雪庇に乗らないようにすることは可能なのです。この事故は不可抗力によるものではありません。事故当日は無風快晴、絶好の登山日和、登頂日和でした。全員が何の問題もなく山頂に達していながら、この事故は全く悔やまれてなりません。(重野太肚二氏の文章を編集部で要旨にまとめました)

▼北アルプス大日岳遭難事故調査報告書は、文部科学省のサイトから入手できる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/13/02/houkoku/index.htm


学習会でのご両親の訴え
「予見不可能」の一言だけなのか

内藤悟

日本勤労者山岳連盟のみなさま方、本日は私たちのために「大日岳遭難訴訟問題の学習会」を開催していただきまして誠にありがとうございます。

私たちは、多くの山の関係者の方々にこの事故のことを知っていただきたい、その上で支援をしていただきたいと願っています。

私が特にこの場所でお話をしたいのは、今回、事故のあった研修会は、学校教育の一環として行われた、国・旧文部省主催の大学山岳部冬山研修会であったということです。

私たちの息子、三恭司も、国秀さんも「今回の山登りだけは心配しなくていいよ。国の、文部省主催の研修で、山登りのスペシャリストと一緒に登って、冬山を教えてもらうんだ。それと、スキーを楽しんでくるよ。個人で行く山登りとちがうから、絶対安心だから今回だけは心配しなくていいよ」と言って出かけていきました。

そして私の息子、三恭司は、この研修を受講する際、「研修会に参加するにあたって」という抱負を登山研修所に提出していました。

その中で、研修したい課題、技術は、雪崩の起きそうな場所の判断方法、それとルートの取り方などを学びたい。また、新雪で埋め尽くされている山を登るとき、山慣れした一流クライマーの人たちはどのようなところをどのように観察し、どのような判断を下すのでしょうか? 斜面の傾斜、沢や尾根という地形、樹木の生え方、2万5千分の1の地形図などをどのように判断材料とするのでしょうか? 具体的に知りたいです。と、書いてありました。

まさに、私の息子、三恭司が学びたかったこと、知りたかったことが実行されていれば、このような事故は起こらなかった。まさに悔やんでも、悔やみきれません。

この事故のあった研修会は、冬山で遭難しないため、冬山で事故を起こさないため、遭難した場合にはどのように対応すべきか、まさに冬山での危険予知、予防のための研修です。個人で山登りをして遭難をしたのであれば、納得はできないがあきらめざるえないと思っています。しかし、今回の山登りは、冬山で遭難しないため、冬山で事故を起こさないための研修で、かつ、講師の指示どおりに行動し大日岳山頂付近で休憩中での事故でした。

事故からすぐに、国・文科省は自らの人選で事故調査委員会を立ち上げ、報告書が1年後に届けられました。報告書のまえがきで、今回の事故の原因を明らかにするとともに、痛ましい事故の再発を防止するため報告書を作成した。と書いてありますが、報告書は、登山研修所の生い立ち、雪庇の形成および雪庇の力学的解析についやされ、
なぜ、研修で事故が発生したのか。
なぜ、大日岳山頂のルートを誤り雪庇に乗って休憩をしてしまったのか。
なぜ、例年と違い巨大な雪庇(報告書では、いままでに経験のない巨大な雪庇が形成されていたとしている)があることが判らなかったのか。
なぜ、2人の研修生が、学生が死亡しなければならなかったのか。
事故とその原因の究明が全くされていません。

そればかりか、事故調査報告書78ページ中、事故の原因追及に1ページに満たない、わずか17行しか触れていません。そして、最終的な結論は、予見不可能。

この冬山研修会は、学校教育の一環として、冬山で遭難しないため、冬山で事故を起こさないため、まさに、冬山での危険箇所を予見するための研修でした。そして、私たちの息子には何の落ち度もなく、講師の指示どおりに行動し、大日岳山頂付近で休憩中での事故でした。そして、この研修会は、国・文科省が主催して、講師を決め、研修会を開催したにもかかわらず、今までに一切の責任も取らないし、一切の謝罪もありません。

私たちは、山のことに関しては全くの素人です。国・文科省から事故調査報告書を渡されて、最終的な結論が「予見不可能」と宣告されれば、なすすべがありません。

事故調査報告書には、私たちが知りたいことが何も書いていない。息子を失った原因と事故の真実をどうしても知りたい、明らかにしたい。そして、息子の死を無意味なものにさせたくない。その思いで、事故からまる2年目の平成14年3月5日 事故発生の同時刻11時25分、富山地方裁判所に国の責任と謝罪を求め提訴しました。

今までに4回の公判があり、6日後の9月10日に5回目の公判が富山地方裁判所で行われます。

また、私たちは、要請署名活動も行っています。署名は法廷外の傍聴人といわれ、数が集まれば世論となります。去年の10月から1年間で国・裁判所宛の個人署名7万1000筆と団体署名300筆が集まりました。要請署名は30万筆が目標です。ご協力よろしくお願いいたします。

本日、この会場にお越しいただいきました皆様方には、「三恭司、国秀さんの死亡事故から提訴」に至るまでをぜひ知っていただき、どうかご支援・ご協力いただきますようよろしくお願いいたします。


北アルプス大日岳遭難訴訟に支援を
川嶋高志(全国連盟副理事長)

全国理事会は、北アルプス大日岳で文部省(当時)が実施した「平成11年度大学山岳部リーダー冬山研修会」で、雪庇が崩落して研修に参加した大学生2名が死亡した事故について、9月4日に東京で学習会を開きました。

同事故は00年3月に発生しましたが、1年後に「予見不可能な雪庇の崩落で事故は不可抗力だった」とする事故調査報告書がまとめられ、これを根拠に主催者である国に責任はないとしました。

2人のご遺族は「崩壊することが予想される雪庇の上で休憩したことは、研修に参加した学生の安全を確保する義務のある主催者の過失で、事故の発生に対し何ら責任はないとする文部科学省(国)の態度は納得できない」として、国に自らの責任を認め謝罪するよう、昨年の3月に国家賠償請求訴訟をおこしました。

私たち労山は、遭対部や中央登山学校雪崩講習会などでこの事故について検討し、私を含め斉藤・井芹の3人の副理事長が出席した登山研修所友の会(前所長の柳沢氏の退官にともない事故の翌年に開催された)の席上では、この講習会で主任講師をつとめた講師から「この事故の責任は私にある」という責任感のある言葉も直接、耳にしていました。また、事故の調査委員会には日本山岳協会の役員や雪崩講習会で特別講師をお願いしている富山大学の川田助教授も参加しており、納得のいく事故処理がされるものと期待していました。

しかし、事故調査報告書の記述内容も、その後の国の対応も登山者として見過ごせないものでした。

一例をあげれば、労山遭対部として関心の高い事故直後の救助活動内容については、繊細な内容が書かれておらず、「スキーを差し込み、それを支点にしてザイルを結び付け、ザイルを使って崩落現場に懸垂下降して、人員確認を急いだ」などという、事故直後の対応としては信じられない2次雪崩を誘発する行動をとったように記述されています。

さらに、大地震などの天災でもないのに「大きな雪庇ができるのを、予見できない」などという理由で主催者に責任がないなどという国の対応は全く納得できません。雪山は予見できないことがあるから、雪のない時期から現地を確認するなどして、事前の安全対策をするものです。

私たち労山の全国雪崩講習会では、3日間の講習のために、1日前から講師陣が入山し、現地の安全確認を行っています。そのためにも、毎回、2百万円以上の費用を補助しているのです。受講生や講師・スタッフの生命にかかわることだから当然の安全対策と考え、17年間続けています。

文部科学省は十分な予算を組んでいるのでしょうか。その上で、実際に事故が起きて、2人の尊い命が失われたときに「責任はない」といえるのでしょうか。国の、最も大事な仕事は、国民の生命を守ることであるはずです。

主催する行事で事故が発生したときは、手厚い補償をするのが当然だと考え、この事故の真実を究明し、国の責任を明らかにするために、署名活動や裁判の傍聴などを通して遺族を支援することを、全国の仲間の皆さんに呼びかけます。

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