海外登山希望会員 地方連盟代表者 各会・クラブ代表者 各位 |
日本勤労者山岳連盟 (海外委員会) |
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「ハイキングからヒマラヤまで」を合言葉に掲げて1960年の創立以来、実践に運動にと諸活動を展開してきた労山にとって、海外の高峰登山はその到達点の高さを示す指針の一つです。労山における海外登山の黎明期となった1970年代、それが花開いた80年代を経て、90年代には8000m峰を目指す隊も目立ち始めました。 これにはやはり1988年以来、海外委員会が主管して開講を続けてきた実践高所登山学校が高峰登山実行の気運を促し、かつ人材育成の面でも大きな寄与をなしたものと自負しているところです(2003年冬までに24回の高所登山学校で延べ161人の受講者を数える)。そして海外委員会ではこの分野でのよりいっそうの発展のため、高所登山学校活動と平行して1994年からは8000m峰への登山隊派遣にも取りかかりました。2002年までの9年間にシシャパンマ(中央峰8008m)、ダウラギリ1峰(8167m)、ローツェ(8516m)、チョモランマ(8848m)、ナンガ・パルバット(8125m)、ブロード・ピーク(8051m)、K2(8611m)、マナスル(8163m)、再度のK2、と延べ9座への登山を実施し、並外れた悪天候に妨げられた2000年と2002年の2度にわたるK2以外は全て成功させてきました( 02年はガッシャーブルム2峰の許可も得ていましたが、HAJ隊の遭難救助に従事したため中止しました)。 しかしながら、上記のようにK2だけはその頂を未だ開け渡してくれていません。K2は世界第2位の標高を誇り、メスナーをして最も困難な8000m峰と言わしめた山ではありますが、とはいえ2回の私たちの試みの結果、2002年には南東稜の7900地点まで到達し得て、天候さえ味方してくれれば十分勝算のあることが分かっています。そこで来年こそ憧れのK2に登頂すべく第3次登山隊を派遣することになりました。8000m峰登頂の夢を抱きながらも身近に同好の士が得られないという労山会員の応募をお待ちします。 |
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