京都大学芦生演習林、ここは四季折々の美しさがあるが、特に晩秋は山が黄・赤・茶と染まり錦絵のようで神秘的ですらある。府県界縦走を試みている私たちは11月末、上田恭子さん(京都明峯勤労者山岳会)と2人で歩いてみることにした。
須後から入山し、軌道に沿って橋を渡る。トチやブナの木々も葉を落とし見通しがよい。春なら紫色の藤の花が咲き乱れているのだが。足下には由良川が雄大にとうとうと流れている。軌道は絶壁を切り開かれた岩盤を横切り、右手より刑部谷が現われてくるとすぐにカズラ小屋である。かなり荒れてはいるものの泊まることはできる。気持ちのよい森林浴ができる散策コースだ。
軌道レールが消えるとしばらくで七瀬谷である。源流を詰める場合は靴を脱いで対岸に渡る。今回はここから府県界沿いに天狗峠(天狗岳とも言う)をめざし、右手の尾根に取り付く。踏跡もなく急登の薮漕ぎだが、分かりやすい尾根のせいかあまり時間もかからず天狗峠に着くことができた。南西に位置する小野村割岳へ向かって歩きやすい踏跡が続いている。単独の男性に出会っただけで出会う人も少ない静かな山域だ。
標高900メートルから左へと進む。東に伸びている三国岳への稜線は踏跡もなく、背の高い笹薮をかき分け前進する。倒木も多く、跨いだり潜ったりと侮れないコースだ。コンパスや地図、高度計で確認しながら進んで行く。あちらこちらで鹿のフンを見かける。獣の匂いが充満している。
以前、やはり上田さんと一緒に天狗峠に行ったとき、5〜6メートル後方に熊の丸い大きなお尻を見たこともある。逃げるようにしてその場を離れ、それからは笛を鳴らしたりラジオのボリュームを上げて歩いたものだった。
936メートルピークまで来れば、三国岳までは、しっかりとした踏跡があり迷うことはない。
府県界尾根も、雪の季節なら水を持って歩かなくてもすむし、藪漕ぎもいらない。何より「熊は冬眠しているんじゃない?」と言うことでまたまた上田さんと行ってみた。今回は鈴木氏(京都明峯勤労者山岳会)も加わり3人である。
1月中頃で、桑原町では40センチの積雪があった。交代にラッセルしながら三国岳山頂へ。このあたりはフカフカの新雪が1メートル半程。食べて見るとほんのりと甘い。ここにテントを張り、翌日、府県界尾根を南下して経ケ岳へと向かった。
天気もよく、綿帽子のように雪を被った杉木に青い空のコントラストが美しい。長い長い尾根をワカンをつけ、おいらん歩きしながら進む。地図上のピークよりも歩いているピークの数が多い。しばらく行くと久多からこの尾根を横切り桑原へと抜ける小浜街道にぶつかった。もう文字も消えかかった朽ちかけた標識が立っている。
ようやく経ケ岳に到着。綿帽子を被った木々が重たげに視界を遮り、前方にある尾根が分かりづらい。地図とコンパス、高度計で常に現在地の確認をしていないと不安になってくる。途中、ところどころで赤テープを確認すると「正解」をもらったような嬉しさがある。南下し、標高も少しづつ下っているせいか雪の量は少なくなっている。いくつかのピークを越え、二等三角点のある「いちご谷山」に着いた。夏道とテープはここまでのようだ。今日はここまでとする。
一晩中降っていた雪も翌日には止み1メートル強あった積雪にさらに20センチの新雪が積み重なった。新潟生まれの私には、ここでこんなに雪が降るとは驚きである。「京都もようけ雪降るやん」と思いながら歩き出す。この辺りの雪は湿気が多いのか密度が濃いのか、重く感じられる。食べてみると渋かった。
稜線では腰まで雪に入る。雪がなければ薮なのであろうか。途中、鹿の親子の足跡に驚かされたりしながら粘り強く前進していく。標高900メートル前後になると雪も1メートルくらいと、だいぶ減ってくる。この辺り、雪屁が滋賀県側に張り出しているので踏み抜かぬよう京都側にルートをとる。さらに標高800メートルまで来ると滋賀県側は杉の植林、京都側は雑木林となる。685メートルピークで方向を東に90度振って下降。雪も膝くらいまでに減ってきたのでワカンを外すことにした。
さて、最後の標高550メートルから下る尾根が分かりづらく、四苦八苦させられた。北東に伸びる尾根を下降したところ、府県界より150メートルほど北側に出てしまった。戻って確認したら、府県界は小さな谷の所に標識が立っていた。残念ではあるが納得して下った尾根だったので「まァいいか」と3人で握手を交わす。
3日間の緊張をほぐしつつ国道を歩いていると、軽トラックのおじさんが通りかかり、止めてある車の所まで送ってくれることになった。おじさんから栗饅頭を貰ったので荷台で車に揺られながらおいしくいただく。3日間歩いてきた尾根が視界を流れていった。
[写真キャプション]
(2万5千図「中」「久多」、「城丹近」は山城・丹波・近江のこと) |
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