海外の登山を読む
海津正彦
ロッキーの懸案に決着つける
円熟(?)のクライマー

ROCK & ICE カナディアン・ロッキーには、高さ1000メートルの切り立った大岩塔はない。高緯度帯に聳える6000メートルの巨峰もない。カナディアン・ロッキーの山々が、日本の山岳誌で取り上げられることは、ほとんどなく、クライミングという視点から見ると、アラスカとヨセミテのあいだにできた「エア・ポケット」といった印象さえある。

だが、クリス・ジョーンズが1976年に著した名著 Climbing in North America で明らかにしたように、北アメリカにアルピニズムが初めて根付いたのは(カナダ太平洋横断鉄道が1885年に全通したおかげもあって)そのカナディアン・ロッキーだったし、槇有恒をリーダーとする日本隊が初登頂したマウント・アルバータ(3619メートル)も、カナディアン・ロッキーの中枢部に位置している。

そんなカナディアン・ロッキーに、実は、1960年代の後半から冬季アルパインクライミングの流れが、脈々とつづいている。ROCK & ICE 最新号(No.125 June 1,2003)の「キングを襲え」によれば、カナダにおける冬季登攀の歴史は、1966年3月の、難峰マウント・ハンガビー(3493メートル)の冬季初登頂にはじまり、1977年のマウント・キッチナー(3475メートル)北壁ランぺ・ルートの冬季登攀で、世界の最高水準に達し、その後、1980年代には、カルガリーを本拠地とするクライマー集団「ワイルド・ボーイズ」たちによって、その伝統が引き継がれ、グッドサー南塔(3562メートル)北壁や、マウント・フェイ(3234メートル)東壁、マウント・ケフレン(3266メートル)東壁のワイルド・シングス、ハウズ・ピーク(3290メートル)北壁などが、続々と冬季登攀された。

となると次の目標は当然のように、カナディアン・ロッキーの「王(キング)」と呼ばれ、同山脈の最高峰ロブソン(3954メートル)のエンペラー稜から切れ落ちる標高差2300メートルの西壁(エンペラー・フェース)の冬季登攀になる。

この壁の左端には、1978年にマッグス・スタンプらが、また中央部には、1981年にデイヴ・チーズモンドらが、それぞれVI級ルートを拓いている。どちらのルートも再登を許していないが、記事の筆者のバリー・ブランチャードは、敢えて壁の右手にルートを選んだ。バリー・ブランチャードの主張によれば、ロブソンの場合、9月下旬から5月初めまで、冬季登攀に当たるという。北極の寒気団がこのあたりまで降りてきて居座ることが多いから、冬の冷え込みは厳しく気温は零下40度にもなるという。

ブランチャードは、1989年4月以降13年にわたって、毎年エンペラー・フェースの冬季登攀めざして挑戦を続けるが、天気が悪かったり、雪が少なかったりして、なかなか登れない。

そして去年、自分の教え子とでもいうべきローランド・ガリボッティと、スティーヴ・ハウスが2人で、出掛けた。ブランチャードは、うらやましいと思いながらも、2人の成功を祈っているのに気づいて己の円熟を感じたが、その円熟も長くは続かなかった。

2人が失敗し、その後、スロベニア人クライマーが取り付いたとの情報が入り(失敗)、さらに、クリストフ・ラファイユから、同ルートについて問い合わせのEメールが入ったりして、ブランチャードの心は俄に騒ぎ出した。そして、ついに去年の10月23日〜25日にかけて、カナダ人クライマーのエリック・デュマレックとともに、懸案だったエンペラー・フェースの新ルートを初登攀した。無限の忍耐(インフィニット・ペイシエンス)は、全2200メートルでVI WI5 M5 5.9。

この記事は、ことし44歳になるブランチャードが、私生活についても触れながら、クライミング仲間たちとの交流を描き、エンペラー・フェースとの付き合いを書いている。


戻る