根深誠(1)
迷走する白神問題
共生と分断のせめぎ合うところ
昨日、私は白神の渓流で2泊3日遊んで過ごし、帰ってきた。杣道をたどり、この地球上に残された最大級のブナの森の自然を味わった。白神山地には何百年と続いてきた杣道が何本か通じている。杣人がナタで枝葉を切り払うことによって維持されてきたのだ。ナタメやオオバコも残っている。ナタメを落書きと決め付ける自然保護論者がいるが、そうとばかりも言い切れない。ナタメも「持ち込まれた路上植物」のオオバコも、杣人が刻印した山の歴史の道しるべなのである。


鹿児島県の屋久島とならんで、青森・秋田の両県にまたがる白神山地が、この国で最初に世界遺産条約の自然遺産として登録されたのは1993年のことだから、ことしが10年目にあたる。白神山地では、この世界遺産登録を契機に、「世界遺産になるほど貴重な自然」だから立入禁止だ、規制だ、という管理計画が物議をかもした。おかしなことに「学術的行為」なら許されるのだ。同じ世界遺産でありながら、屋久島ではさほど問題にならず、白神では大問題となって全国的なセンセーションを巻き起こし、世界中の世界遺産地域では問題にもならないことが白神では騒動の原因になっている。まことにもって奇々怪々、摩訶不思議といわざるをえない。

白神山地の世界遺産地域は、世界遺産登録以前には林道建設による破壊の危機に直面していたのだが、登録されるや、一転、こんどは立入禁止にされたのである。

こうした管理計画によって迷惑したり不快な思いをするのは、そこを生業の場としてきた一部の地元住民であり、私たちのような山好き釣り好きな登山者である。おもしろいことに、といったら語弊があるが、管理計画を策定し、きわめて一方的な態度で私たちや地元住民にそれを押しつけたのは、言うまでもなく、迷惑したり不快な思いをしたりはしない類の人たちだった。貴重な自然を守るためには、入山者を排除するのもやむをえない、とする考え方である。

しかし、憶測以外に、この立入規制・禁止措置を裏付ける、具体的な正当性や根拠は何もないのである。「世界遺産に登録されるほど貴重な」以外にも「ヒューマンインパクト」「オーバーユース」などと、なんだか抽象的でうさん臭い理由も挙げられている。

話は横道にそれるが、私には外国語のカタカナ文字が馴染めない。最近の自然保護やその活動にうさん臭ささを感じるのは、このあたりにも原因があるのかもしれない。先日も、欠かせない義理があって自然活動に関わる会議、これもカタカナ文字でアウトドアコンフェレンスとやらに出席したのだが、めちゃくちゃカタカナ文字を乱発されて、思わず絶叫したくなるほど気が苛立った。以下に、会議中の退屈しのぎにメモした、そのときのカタカナ文字の一部を紹介しよう。本誌の読者諸氏にも一考願いたい。

ネガティブ、ポジティブ、クリティーク、ネーチャー、ドゥ、クリックボード、アイスブレイク、プラン、スノーシュー、マップ、レスキュー、ドリームキャッチャー、インストラクション、クライアント、インタープリター、バードウォッチング、ファストエイド、アワード、コンセプト、……。

相手を煙に巻くには有効かもしれない。

仮りに「ヒューマンインパクト」や「オーバーユース」もその手のものだとしても、そのように考える人々が、みずから率先して入山しなければ済む話ではないのだろうか。山や川で遊んだり、あるいはそこから山菜やキノコを採取して生活してきた人々の権利までも侵害することはないはずである。

にもかかわらず、まことしやかに、そうした「人間排除の論理」が世間に通用してきたのにはいくつかの理由が考えられる。まず第一に、現場についての知識があまりにも希薄なのではないだろうか。情報と言っていいかもしれない。情報は具体的で良質のものにこしたことはない。その一方で情報はまた、操作、歪曲、捏造されたりもする。白神山地の自然保護問題は、そうしたことの積み重ねよって迷走を続けてきたのだった。

ひところ、立入禁止派はみずからの提言を正当化しようとする根拠として、さかんにゴミ問題を持ち出した。このままでは世界遺産はゴミの山になると危機感を煽り立て、地元の大学教授などはゴミ調査だと称して「ゴミ集め」を実施し、いちいちマスコミに発表したのだった。そこには膨大なゴミの山が写し出され、冷蔵庫などの粗大ゴミも混じっていた。これはひどい、とだれもが思う。もちろん、そこが狙いどころに決まっている。しかも新聞報道によると、そのゴミ調査は環境庁の委託調査とのことである。ところが実態を調べてみると、環境庁は調査を委託したこともないし、ゴミにしても多くは世界遺産地域とは関係のない林道沿いのものだった。おまけに、おそらくは杣人のデポ品と思われるものまで集めていたのだから、聞いて呆れ返る。

しかし、それよりも重要なことは、もっと大局的な観点に立った将来への展望ではないだろうか。登山行為は人間精神の発露からくるものである。あるいはまた、白神山地のブナの森は地元住民の暮らしとの関わりが歴史的にみても濃厚な山域だった。そもそも、行政にお伺いを立てて入山するという考え方が誤っているのではないか。事実、そうしたことの観点からと思われるが、青森側ではそれまでの入山許可制を改正し、ことし7月、届出制にしている。簡略化したわけである。これによって、いくらかは風通しがよくなったといえよう。

頑迷固陋というべきか、依然として立入禁止措置を強行しているのは秋田側である(管理計画では、世界遺産核心地域への入山は、秋田県側は全面禁止、青森県側は27ルートに限って届出による入山を認めている)。ここでは、登山行為や、連綿と続いてきた山の生活文化が徹底的になおざりにされている。

地元(秋田)の自然保護団体が、そのことに抗議しないのはどうしたわけだろうか。その理由は、白神山地の自然保護運動の経緯に見い出すことができる。

ねぶか・まこと
47年、弘前市生まれ。旅と釣を愛し、「山」に根ざした骨太の発言は共感をよんでいる。青秋林道建設で白神山地が破壊されようとした82年、「白神山地の自然を守る会」「青秋林道に反対する連絡協議会」を設立して巨大公共事業を中止に追い込んだ。いま、そのときの思いが「山を知らない管理計画」を痛烈に批判する。ヒマラヤでも、ゴッラゾム(パキスタン)初登頂のほか、エベレスト西稜に挑むなど活躍。今夏から「白神自然学校」の校長を務める。著書に『みちのく源流行』『津軽白神山がたり』『白神山地ブナ原生林は誰のものか』(以上つり人社)『山の人生』(NHK出版)『遥かなるチベット』(山と溪谷社)など多数。弘前市在住。

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