夏は、この山村に、いくつもの祭りが続く。
山の神を祀った十二神は、あちこちにあるが、たいていは林道脇の山道を登ると鎮座している小さな祠だ。決まった日に、集落の当番が掃除をして、供え物をあげる。お参りに来た集落の人たちは、賽銭を上げ、供え物の酒を茶碗で振る舞われて、それだけで帰っていく。
藤原地区全体が氏子のお宮さんもある。祭礼のときには草刈りや掃除に駆り出され、ときには社の修理に寄付金集めも行われる。それでも、由緒があり、大切な文化財でもあるから、信教の自由などと目くじらを立てたりはしない。ただ、山荘の裏にあるキリスト教会の神父夫妻は、そういうものには一切顔を出さないし、村人もそれを当然と認めている。この神父さんはアメリカ人で、日本語も達者である。前任者のシスターは、スイス人のおばあさんで、私が食堂の大屋根の雪下ろしをしていたとき、2階の窓から顔を出して「タカハシサン、ムリヲシテハイケマセンヨ。カラダヲタイセツニネ」と声をかけてくれたことがあった。
青木沢の、武尊山登山道沿いにあるのが武尊神社だ。すぐ前が裏見の滝への下り口になっている。だいたい、登山者には登山口の目安くらいにしか思われずに素通りされるようだが、6月下旬の「武尊山・山開き」は、この社の脇で行われる。そのときは、武尊山のスケッチをデザインした手拭いが配られる。参加する登山者は、山開きの式典や豚汁の振る舞いよりも、こっちが目当てだ。この手拭いには、武尊山のバッジも染め抜かれている。近隣の谷川岳や尾瀬のバッジはいくつもあるのに、武尊山のバッジはなぜないのかと要望を言ってくれた人があって、それではと地元でつくったのだ。
古色蒼然たる武尊神社の祭礼も、もちろん欠かさず行われているが、いたって簡素である。祭りは、当日の草刈りではじまり、出前の神主さんによる祈祷の後、各集落の戸数分の御札(おさつ)が配られ、コンビニ弁当とお神酒を拝殿でいただいて、それで散会になる。私も1枚200円の紙片(御札)を山荘へもって帰る。
地区の中心部にある諏訪神社の祭礼は獅子舞だ。上・中・下の3区が輪番で舞う。こうした獅子舞は、各地方にあるが、ここ藤原のものは古い形式の歌舞伎舞台が使われる。また、舞台と客席との構造が、古代ローマの円形劇場のようだというのも珍しい。軽快なテンポの祭囃子に親しんだ江戸っ子の私には、単調でスローテンポの獅子舞の囃子がいまだに馴染めないが、境内の屋台を回って、人目をはばからず食いしん坊ぶりを発揮するのも、祭りの楽しみである。
8月中旬には、恒例の藤原湖一周マラソンが行われる。その前夜祭を兼ねて、湖畔で区民祭も行われる。設営から片付けまで、地区総出の催しだ。上旬は、町主催の「鱒のつかみ取り」が各所で行われ、民宿のおやじ連が交代でサービスに当たる。こうして夏は、忙しいうえに出歩く機会が重なり、どこの家でも、後に残っていっそう忙しくなるカミサンとの喧嘩の種が増えることになるのである。
高橋伸行
[写真キャプション]
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