海外の登山を読む
海津正彦
アメリカの100年 登攀と著作

The AMERICAN ALPINE JOURNAL アメリカ山岳会にとって、今年は創立100周年の節目の年。この年末に発行された AMERICAN ALPINE JOURNAL 2002(Issue 76)は、記念特集「高所における100年間」を組んで、その間の歴史を振り返っている。

特集記事の1本目「記憶に残る10のクライミング」では、アメリカ人がおこなった特筆すべき登攀を、10年に一つの割合で取り上げ、それぞれの山なりルートなりの水彩画とともに、登攀の概要を2ページほどのスペースで紹介している。ここでは、その時代時代に話題になった登攀というより、目立たないけれど時代の先駆けとなった登攀を重視している。

たとえば、マッキンリーの記録として取り上げられているのは、1910年のピーター・ロイド隊による北峰(5934メートル)初登頂であり、1913年の最高点(南峰6194メートル)の初登頂ではない。また、ヨセミテの初登攀記録として取り上げられているのは、1947年のジョン・サラテによるロストアロー・チムニーの初登攀であって、58年にハーディングが成功したエルキャプ・ノーズの初登攀ではない。さらに、1974年にジョージ・ロウとクリス・ジョーンズが初登攀した、カナディアン・ロッキーのノース・ツイン北壁は、アイガー北壁より1.5倍大きく、よりいっそう難しく危険で、隔絶された環境にある岩壁として取り上げられている。

たしかに、マッキンリー南峰の初登頂は、3年前の北峰初登頂の延長にあるものだし、ロストアロー・チムニーの初登攀は、(A型フォードの車軸から作ったという)硬鋼のハーケンとボルトを使った、ビッグウォール登攀のはりしと言える。また、ノース・ツイン北壁の個所を読めば、66年3月のあの有名なアイガーダイレクト・ジョン・ハーリン・ルート初登攀の記録も、色あせて見えてくる。

ここでは、ほかに1906年にワークマン夫妻が、インドヒマラヤでおこなったピナクル・ピーク初登攀からはじまって、29年のグランド・ティートン東稜初登攀、32年のミニヤ・コンカ初登頂(中国四川省)、53年のK2登攀、63年のエヴェレスト西稜から南東稜への縦走、80年のマカルー西稜第2登、94年のリン・ヒルによる、エルキャプ・ノーズのフリー一日登攀が、取り上げられている。

特集の2本目は、「絶賛本」としてこの100年間にアメリカで発行された山岳書を52冊リストアップし、解説を加えている。前書きとして「今日、あらゆるスポーツの中で、登山ほど著作の豊かなスポーツはない。登山の分野では、国際的なスターにしろ、週末登山者にしろ、その活動に参加している個人の征服の経験を、公表するよう求められるが、そのようなスポーツはほかにない」というブルース・バーコットの言葉を引いている。また、「ここにあげた52冊すべて読むことはできないとしても、この100年間に仲間たちがどんなものを書いたのか、覗き見てもらいたい」とも記している。

ここでは、ワークマン夫妻が著したヒマラヤ探検記 Ice-Bound Heights of the Mustagh(1908年)や、ジョン・ミュアの My First Summer in the Sierra(11年) などからはじまり、ロイヤル・ロビンスの『クリーンクライミング入門』(原著71〜72)、ハーディングの『墜落のしたか教えます』(原著75)、ショイナードの『アイスクライミング』(原著78)、クリス・ジョーンズの Climbing in North America(76) や、アラン・ステックとスティーヴ・ローパーの Fifty Classic Climbs of North America(79) を経て、クラカワーの『エヴェレストより高い山』(原著90)と『空へ』(原著97)、さらには、マーク・トワイトの Extreme Alpinism(99) まで、ジャンルを問わず、名著を幅広く紹介している(和書名を示したものは訳書がある)。


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